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豪雨1 [災害支援]

開けっ放しにはしてませんが、人の出入りするとき藪蚊も一緒に家に入ってくるので、玄関前に蚊取り線香を焚いてます。
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相棒は蚊に刺されない、蚊は相棒とともに家に入り私を刺します。
これで安心♪



今日のブログ更新、豪雨です

雨は8月3日の夜10時ころから止むことなく降りつづけた。

不安を感じるほどの雨音、バケツをひっ繰り返す量の雨が止むことなく数時間。

市から防災無線やメールが頻繁に入ってくるので一晩中寝ることも出来なかった。

明るくなって窓から見える風景がいつもと違っていた。
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道路も歩道も田んぼも分からない、来た車も冠水して走られないから我が家の駐車場でUターン。
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何じゃこれは~~~初めて見た風景。

我が家は庭も通路も水が入らず、豪雨の被害は無かったけど、義兄の家が気になり姪に電話。

姪 「水が上がったの、家の中まで」

「大変だ……これから行くわ」

「おばさんが来ても車も入られないし、道路が一面 水が溢れて歩かれない」


「床上は階段の3段目まで水が入り、お父さんと猫を二階に上げるのが精いっぱいだったの」

「車も半分以上水の中、二階に居るけど水位が下がらないと下りられないし、どうにもならないの」


話の内容から大変なことが起きた、私たちも水が引くまでは近寄ることも出来ず……。

居ても経っても居られず、車で何度も近くまで見に行った。

午後から車を遠くに置いて、長靴を履き姪の家へ歩いて行った。

道は長靴を履いていてもドロドロ、道路じゃなく泥田んぼの中を歩く感じ!

姪は涙を流し、何から手を付けたら良いのか分からない精神状態。


家の外側はクーラーの室外機も、風呂のボイラーも、給湯設備もゴミと泥。

水の引いた家の中は洗濯機は浮いたのか傾いている、冷凍庫は倒れて、冷蔵庫、ファンヒーター、電化製品全て水浸し。

それから2人で悪戦苦闘の戦いが始まった。



まず、手が足りないから親戚に電話、来てくれるよう応援を求めた。

私の作業は駐車スペースの泥掻き、玄関前の泥搔き、家の中へ入る前の作業、掻いても掻いても終わることのない作業が始まった。

姪は災害車のことでディーラーに連絡、代車の依頼をした。

家の中だけでなく別棟の物置まで水が上がった。

家の部屋の物は、必要な物、必要でないもの、は本人しか分からないので、処理は物置小屋から取り掛かった。

相棒は物置の泥だらけのゴミになった品物を外へ運び出し作業です。


水を含んで重くなってゴミになった物、運んでも運んでも終わらない品物を庭に積みはじめた。

電気が付かないから家の中は暗い、日が暮れたら困る。

助けを求めた親戚の人に、ボイラーの資格を持っている人が居る、早速電源のチェックを始めてくれた。

漏電が怖いから配線の1本1本をチェック、電灯はその日に灯った、浸水した周辺で一番早く灯った、これで夜は安心。


街は土砂崩れで水路が破壊され、その日から市民の断水で苦しむ生活が始まった。

我が家は断水で風呂は入られない。

姪と義兄のその日の風呂は、隣町の親戚の甥にお世話してくれることを依頼した。

90歳に近い義兄もその家に泊めてもらうことにしてもらった。

姪の知り合いで飲み水18ℓの水を届けに来てくれた人が居た、良い仲間を持っている。


断水の原因は水源の通水の一番大きいパイプが流木で破壊され、復旧の目途の経たない状態。

住民は生活する水の無い暮らしの続く、そんな生活が始まった。

市は断水のため飲料水は給水場を数ヶ所設けて、そこへ行ってもらってくる。

飲むだけなら足りても、洗いもの、洗濯、トイレ、風呂、のできない日々の始まりです。

長くなるので、被災生活の話は又にします。


被災から1月近い土砂崩れの写真です。


豪雨によって大木が根元から根こそぎ流され自然の恐ろしさを感じる山々。
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見るたびに感じてます。
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尾根からダム湖まで流れ落ちてます。
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ゴジラが爪で掻きむしったように見える山肌の土砂崩れ。
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ダムの橋の下の集落は通行止めで分かりませんが、流れた土砂で家もめちゃめちゃです。
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数百年も山の下で暮らしてきた歴史ある集落です。

経験したことのない災害、命からがら逃げて死者の出なかったことに安堵です。

今後、生活が成り立つように自治体と相談でしょう。


次も豪雨更新です。

またお越しください。
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復興支援旅行 [災害支援]

柿の摘果の時期で、毎日脚立に上がったり下がったり摘果作業です。

出荷するわけではないけど、この柿を待っている人が多いので、剪定したり、摘果をしたり、石灰や、有機肥料を撒いて世話をしてます。

昨日も作業をしてきました。



1週間ほど前、支援旅行に行って来ました。

場所は 新潟県糸魚川市の復興支援です。

2016年12月に発生した大火で街は147棟焼けました。

負傷は17名で幸いに死者は出ませんでした。

大火災の、その中に歴史の有る造り酒屋が入ってました。

加賀の井酒造です。

資料から全て焼失してしまったため一旦は止める決意をしましたが、

富山県朝日町の酒造会社が支援をし、もう一度立ち上げる決意をした。

やっと創業出来るようになったばかりで、観光バスが立ち寄ってもトイレも従業員用1つだけ!

ガイドさんが、「トイレは道の駅で済ませておいてください、」と説明。

「まだ売店も無く、お酒は出来上がったものをテーブルに並べて置くだけです」と話した。


370年の歴史が有る加賀の井酒造、残ったのはこの土蔵だけ!
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土蔵の後
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この人が歴史ある造り酒屋を色々と説明をしてくれた。
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江戸時代、百万石を誇る加賀藩の参勤交代の宿場街であった糸魚川。

承応元年(1652年)、本陣を務めた当家に前田家三代目、前田利常公が「加賀の井」と命名されたと話してくれた。




裏に回ったら加賀の井さんの神社もありました。
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街は新しい家が立ち並んでます。

まだまだ復興の最中です。
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支援で買ったお酒です。
その日のテーブルに並べた大吟醸は、みなさんの気持ちで完売でした。
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大吟醸です、720㎖で2700円
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誰もお酒は飲みませんが、買いました。



もう一つの支援

食事をして街にお金を落としていくことです。

昼食は糸魚川市長の口利きで親不知ピアパークへ移動♪

焼けてしまった街は まだ復興中で23名を受け入れるお食事処が無かったからです。


到着までの道中、車窓から見た面白い光景。
女性が体をくねらせて、なまめかしい格好で踊っていた。
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その場所は、ブロンズ像の前でした。
糸魚川はヒスイで有名な奴奈川姫伝説があり、その奴奈川姫像の前で踊っていた。
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海の上に造られた高速道路
親不知は海と山で平地が無く、海の上に造られた高速道路です。
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高速道路高架橋の下に「親不知ピアパーク道の駅」があり、そこで昼食です。

レストラン漁火
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出てきた料理は全部海の幸
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カニがたくさんのっていた。



高架橋の下には色々出来ていた。
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こんな店や
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資料館もあったけど定休日だった。



亀のオブジェ
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前は日本海
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天気の恵まれた良い日でした。


ご訪問頂きありがとうございました。


またお越しください。
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