突然体調の異変が [雑談]
8日の朝 モーニングコーヒーの飲み終わった7時キッチリに異変は始まった。
ちょっと下痢気味な感じ……お腹はさほど痛くない。
トイレへ行って出した便を見た。
赤い???食事の材料に赤いもの食べたのかなぁ~~??
お腹の痛みもそう強くないから正露丸でも飲んでおこうか……2粒でも良いかな!
こんな感じで考えていた。
ソファーに座るとまた下痢の症状。。。。。トイレへ。
また赤い便?
トイレとだんだん離れられない症状になってきた。
症状は追加されて吐き気も始まった。
食べ物は吐いたら楽になるかな~思ったけど楽にならない。
またこみあげてくる。
下痢は出るものが無くなって、下血に変わってきた。
吐き気は吐くものが無くなって、黄色い胃液を吐き始めた。
半日こんなことの繰り返しで時間が過ぎていく。
脱水症状になってはいけない……ブドウ糖を飲もう。
カップにブドウ糖を大さじ一杯入れて、藻塩を少々入れて、ゆっくりと飲んだ。
何となく吐き気は無くなった。
横になってはトイレ、横になってはトイレ、一向に下血は治まらない。
こんなことをしながら時間だけは過ぎていく。
相棒は病院へ行ったらどうだ?
と言う。
色々考えているうちに午後になり、すでに外来受付時間は過ぎてしまった。
コロナ禍でなければ直ぐに病院へ行ったでしょう。
頭の中にはコロナ禍が気になり、受付拒否されるのではないかと我慢していた。
体調は一向に改善しない、エネルギーが無くなってきたのか、トイレ通いの歩くのも、ままならなくなってきた。
何もできずトイレと横になるだけで過ぎていく。
相棒も流石に異常事態と感じ取ったのでしょう。
救急車を呼んだらどうかな? と言う。
コロナ禍の中に、こんな症状を聞いたら救急隊員も判断に困るだろう。
今の症状を聞いて保健所へ回されるのが頭に浮かんだ、それは回避したい。
「明日、病院の受付窓口開くのを待って受診する、それまで我慢する、」と言った。
その夜は、キリキリと痛い訳ではないが、おへその周りが重苦しい鈍い痛み。
お腹を抱えて一夜耐えた。
下血は連続、続いたまま、あと何時間、あと何時間、と総合病院の受付時間を数えながら待ち望んだ。
受付時間に近くなったので保険証を準備したり、お金を準備したり。
体重計に乗ったら、一中夜の24時間で3キロの体重が減っていた。
食事もせず出し続けていれば当然のこと。
下血のためナプキンを当てて相棒に送ってもらった。
病院へ着いたら入り口の体温計はクリアでした。
病院窓口で 「基礎疾患は無いので主治医はありません、胃と腸の内科の先生をお願いします。」 とお願いした。
問診表をかかされ血圧計は自分で測定し指示を待った。
即、血便採取とCT検査
それが終わると別室で点滴が始まり、その後帰ることも出来ずそのまま入院生活に入ってしまった。
相棒は入院手続きや室内用のスリッパなど買ったり、必要なものの受け渡しは中継ぎの看護師さん手渡し。
面会はダメ、用があっても電話で会話、留守中の色々な用事も電話で連絡。
入った病室のベッドのテーブルには「禁食」札が置いてあり、その日から24時間点滴針の抜かれる日も無く4日目が過ぎた。
5日目からようやく粥が出てきた。
病室は4階、地震が来たときはビックリ、ゆらゆらとかなり大きく長く揺られて恐怖を感じた。
即TVを付けた、震源地は福島沖、震度6強。
被害が大きくならなければ良いが……とTVにかじりついたまま朝を迎えた。
耐震性が良くなったのか、大した被害も無く済んで良かった、と安堵した。
地震も病院で経験して、緊急の避難場所が近くに有ったけど、螺旋の滑り台で降りられるのかなぁ~~、この冬の寒さで……と考えた。
大腸菌にやられたのでしょう、大腸検査は混んでいて出来なかった、詳しい説明はまだです。
食事はまだ粥ですが、お腹の方も落ち着きました。
次の診察日を決められて、昨日ようやく退院しました。
こんな訳で、ブログ更新できませんでした。
(追加 病名は、出血大腸炎と言われました)
ちょっと下痢気味な感じ……お腹はさほど痛くない。
トイレへ行って出した便を見た。
赤い???食事の材料に赤いもの食べたのかなぁ~~??
お腹の痛みもそう強くないから正露丸でも飲んでおこうか……2粒でも良いかな!
こんな感じで考えていた。
ソファーに座るとまた下痢の症状。。。。。トイレへ。
また赤い便?
トイレとだんだん離れられない症状になってきた。
症状は追加されて吐き気も始まった。
食べ物は吐いたら楽になるかな~思ったけど楽にならない。
またこみあげてくる。
下痢は出るものが無くなって、下血に変わってきた。
吐き気は吐くものが無くなって、黄色い胃液を吐き始めた。
半日こんなことの繰り返しで時間が過ぎていく。
脱水症状になってはいけない……ブドウ糖を飲もう。
カップにブドウ糖を大さじ一杯入れて、藻塩を少々入れて、ゆっくりと飲んだ。
何となく吐き気は無くなった。
横になってはトイレ、横になってはトイレ、一向に下血は治まらない。
こんなことをしながら時間だけは過ぎていく。
相棒は病院へ行ったらどうだ?
と言う。
色々考えているうちに午後になり、すでに外来受付時間は過ぎてしまった。
コロナ禍でなければ直ぐに病院へ行ったでしょう。
頭の中にはコロナ禍が気になり、受付拒否されるのではないかと我慢していた。
体調は一向に改善しない、エネルギーが無くなってきたのか、トイレ通いの歩くのも、ままならなくなってきた。
何もできずトイレと横になるだけで過ぎていく。
相棒も流石に異常事態と感じ取ったのでしょう。
救急車を呼んだらどうかな? と言う。
コロナ禍の中に、こんな症状を聞いたら救急隊員も判断に困るだろう。
今の症状を聞いて保健所へ回されるのが頭に浮かんだ、それは回避したい。
「明日、病院の受付窓口開くのを待って受診する、それまで我慢する、」と言った。
その夜は、キリキリと痛い訳ではないが、おへその周りが重苦しい鈍い痛み。
お腹を抱えて一夜耐えた。
下血は連続、続いたまま、あと何時間、あと何時間、と総合病院の受付時間を数えながら待ち望んだ。
受付時間に近くなったので保険証を準備したり、お金を準備したり。
体重計に乗ったら、一中夜の24時間で3キロの体重が減っていた。
食事もせず出し続けていれば当然のこと。
下血のためナプキンを当てて相棒に送ってもらった。
病院へ着いたら入り口の体温計はクリアでした。
病院窓口で 「基礎疾患は無いので主治医はありません、胃と腸の内科の先生をお願いします。」 とお願いした。
問診表をかかされ血圧計は自分で測定し指示を待った。
即、血便採取とCT検査
それが終わると別室で点滴が始まり、その後帰ることも出来ずそのまま入院生活に入ってしまった。
相棒は入院手続きや室内用のスリッパなど買ったり、必要なものの受け渡しは中継ぎの看護師さん手渡し。
面会はダメ、用があっても電話で会話、留守中の色々な用事も電話で連絡。
入った病室のベッドのテーブルには「禁食」札が置いてあり、その日から24時間点滴針の抜かれる日も無く4日目が過ぎた。
5日目からようやく粥が出てきた。
病室は4階、地震が来たときはビックリ、ゆらゆらとかなり大きく長く揺られて恐怖を感じた。
即TVを付けた、震源地は福島沖、震度6強。
被害が大きくならなければ良いが……とTVにかじりついたまま朝を迎えた。
耐震性が良くなったのか、大した被害も無く済んで良かった、と安堵した。
地震も病院で経験して、緊急の避難場所が近くに有ったけど、螺旋の滑り台で降りられるのかなぁ~~、この冬の寒さで……と考えた。
大腸菌にやられたのでしょう、大腸検査は混んでいて出来なかった、詳しい説明はまだです。
食事はまだ粥ですが、お腹の方も落ち着きました。
次の診察日を決められて、昨日ようやく退院しました。
こんな訳で、ブログ更新できませんでした。
(追加 病名は、出血大腸炎と言われました)